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# FUJIFABRICのこと
 

『モテキ』が流行ったときに、わー、この曲いいなあと思ってはいたけれど、
ただそれだけで、たまたま函館に彼らがくるから「くるり」のチケットをとるついでに
一緒にぽちっと購入して、行くからにはアルバムでも聴いておこうかとレンタルして、
同じ値段であと数枚借りられるからとついでに何枚かレンタルしたのが彼らとの出会い。

一番最初に聴いたのがSINGLEばかり集まった『SINGLES 2004-2009』だったのが
運命とでも言うのか、なんて自分好みの音なんだろうと感激し、繰り返し繰り返し聴いた。
ちょうどウォーキングをしていた時期だったので、iPodを彼らの音楽でいっぱいにして、
まるで彼らの音を聴くために歩くというか、彼らの音を聴きたいがために歩くというか、
今思うと少しのめり込み方が異常だったような気がするぐらいに。


志村さんが急逝されていたのはインターネットのニュースで知っていた。
ただ知らなかったのは、その志村さんがほとんどの曲の作詞作曲を請け負っていて
なおかつボーカルであったことだ。わたしはあまりに何も知らなさすぎた。

ライブには生まれて初めて1人で行った。
志村さんが作って歌っていた曲を、彼の死後、メンバーが引き継いだ。
ライブは素晴らしいの一言に尽きた。
志村さんはいなかったけれど、彼が紡いだ曲はすっかりとFUJIFABRICのものとなり
志村さんの声ではなかったけれど、山内さんのボーカルには心があった。
そしてなにより、あのライブでわたしが一番すごい!と思った曲は、志村さん急逝後に
残ったメンバーで作り上げた曲だった。

ラストのラスト、アンコールの一番最後に『銀河』のイントロが流れたとき、わたしは
全身に鳥肌が立って、ああ、この人たちを応援しようと心に決めた。

何事にも意味があるように、わたしが「いま」彼らに注目したことにもなにか大きな
意味があるのだろう。志村さん亡きあとFUJIFABRICも終わりだと誰もが思ったはず。
例えは悪いが、サザンから桑田さんがいなくなったようなものだもの。
けれども続けていくという彼らの勇気と決断。

もともと音楽にはそれほど興味がなくて、その時々で気になるものをかいつまんで
聴いていたわたしにとって、ここまで胸を揺さぶられるアーティストにはここ最近
出会っていなくて。でもわたしがそれを知ったときには、その曲を作った人も、
それを歌った人も、もうこの世にはもういなくて、まるで蜃気楼みたいで。

だけど新星FUJIFABRICが戸惑いながらも3人で音を作り出し、それを発信し、
チャレンジをしているのなら、わたしも応援していこうってそう思った。

今更だけど彼らの音楽に出会えてよかった。
もしかしたらもっと前に出会っていたほうが良かったかもしれないけれど、
でもそうだったとしたらわたしは志村さんの死を受け入れるまでに相当の時間を
要していただろうし、たぶんいま会うべくして会ったのだろうと思うようにしてる。

4月20日に彼らのライブが札幌であるので、頑張ってチケットを取ろうと思う。

2012年、彼らに会えてよかった。

どうしても今年のうちにこれを書きたかったんだ。

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